ショートショート

粗忽者

江戸小話に粗忽者(そこつもの)というのがあります。
粗忽者が壺を売っているお店に行って、壺がひっくり返しに置いてあるを見て言いました。
何でえ、この壺は。口がないぜえ!
ひっくり返してみて、
しかも、底が抜けてら!使えねえな!

次は、私の粗忽体験です。
いつも電車に乗って出かける時は、家からは自転車で行き、駅の近くに駐めます。その日は出がけにあいにくの雨で、徒歩で出かけたのですが、駅に戻ってきた時には良い天気。習慣的にポケットに手が伸びて自転車の鍵を探しました。
しまった! 鍵を落としてしまった!
また、いつも場所に自転車がないのを見て、
あれ~、しかも自転車が盗まれている~!

粗忽者というのはおっちょこちょいのことです。念のため。(2014年5月25日)


循環呼吸

吹いて鳴らす楽器では”循環呼吸“という息を吐きながら、息を吸うという大変難しいテクニックがあります。先日、尺八で循環呼吸の練習をしていて、横隔膜をぴくぴく動かしたら、腹にたまったガスが思わず漏れてしまいました。
出しながら吸う……、これも一種の循環呼吸かもしれないと気づきました。
このガスを構成する分子の数は膨大であろうし、たちまち大気に拡散し、そのうち地球を一巡してまた戻ってくる分子が幾つかはあるかもしれない。意外と短時間(数週間?)で戻って来るかもしれない。その分子をまた吸い込んだなら、これを地球大気大循環呼吸という?? 失礼しました!(2014年5月16日)


引っかけと落とし穴

トラベルソ(バロックフルート)のレッスンでのこと。ヘンデルのソナタG-DurのAllegroにとても速いパッセージがあって、それが2度出てくるのですが、2度目は途中で突然コーダに飛びます。やっと吹いている私は、ついつい飛ぶのを忘れて1度目のパッセージを吹いてしまいます。
先生曰く「ここはヘンデルが仕掛けた(聴衆に対しての)引っかけです。その引っかけに演奏者が自分で引っかかってはいけません!」
そこで思い出しました。子供の頃、誰かを落としてやろうと、落とし穴を作って、その上を念入りにカモフラージュしました。とても良い出来で、どこに穴があるか自分でもわからなくなるほど。気がついたときには掘った本人が落ちていました。
上手にできた引っかけにはご注意。自分もついはまってしまうことがありますので。
(2014年3月26日)


マネとモネ

マネとモネの絵についての美術番組を見ていて、
A:「マネモネの絵ってどっちがどっちか良くわからないわね。」
B:「マネがモネの真似をしたからじゃない?」
A:「なるほど、“モネマネ“ってわけね。」
(2013年9月10日)


吹ける前にふけちゃう

バロックフルートの発表会で演奏前に次のように挨拶された方がいらっしゃいました。還暦をだいぶ過ぎていると思われる方です。
「バロックフルートを始めてしばらく経ちますが、いったい、いつになったら吹けるようになるのでしょうか。吹ける前にふ(老)けちゃいそうです。」
思わず苦笑。人事ではない!
(2013年9月1日)


時鳥

時鳥(ホトトギス)をジドリと読んだ方がいました。ホトトギスを焼き鳥にして食べてはいけません!


飯粒ひとつ

昔、子供の頃、ごはん茶碗にご飯粒を幾つか付けたまま”ごちそうさま”をすると、祖父によく怒鳴られた。「お前、ご飯粒を残すのか?お米を作るのがどれくらい大変かわかっているのか?一粒でもいいから、自分で作ってみろ!

今、茶碗についた米粒を一つ残らず、きれいに食べようと、箸を細かく動かすと、家内にたしなめられる。はしたないからやめなさいと。

品良く一粒残さず食べるには、ゆったりとした時間が必要ですネ。


いただきます!

ある小学校で、生徒の父兄が、「給食代を払っているのに、給食を食べる前に、どうして『いただきます』と言わなければいけないのか?」と先生に聞いたそうだ。

先生がこの父兄にどう答えたかは知りませんが、この「いただきます」という言葉に含まれる感謝の気持ちを、その父兄は感知できていないのではないでしょうか?「いただきます」は、確かに「もらう」の謙譲語であり、金を払っているのだから、ただでもらったいるわけではない、という言い分もありえましょう。でも、食べ物は自然からの恵み(太陽、水、空気、土、生物)であり、食材を育てた人、料理を調理、準備した人への感謝、そして肉や魚であれば、その命を「いただく」ことへの感謝の気持ちが食事の時には自然と湧いてくるはずです。また、あり余るほど豊富な食べ物に恵まれた今の日本に偶然にも生まれ合わせたことへも感謝しなくてはなりません。

「いただく」とは「高く持ち上げる」ことが原義であり、受け取ったもの、食べるものへ感謝の気持ちを表現する言葉でした。和英辞典で「いただきます」を引いても、Let’s eat.<さあ食べよう>のような表現しか見あたりません。フランス語ならBon Appetit(ボナペティ)<良い食欲を!)>であり、<お腹がペコペコだ、さあたらふく食べよう> と言っているような感じで、感謝の気持ちなんてどこにも感じられません。日本人が食事の前に「いただきます」と言って感謝の気持ちを表すことは、とても素晴らしい習慣だと思います。またそうした素晴らしい言葉に満ちた日本語をもっと大事にしていきたいですね。
(2011年6月)


じーじ、ひなんして!

3歳半になる孫が遊びに来た。最近は、焚き火を私と一緒にするのを楽しみにしている。ちょうど、クヌギの木を伐採した後の小枝が山ほどあるので、片付けを兼ねて、盛大な焚き火をした。炎が高く上がり、白い煙があたり一面に拡がった。孫は、遠巻きに走り回り、「じーじ、ひな~ん、ひなん~して!」と大きな声を上げた。

焚き火の後、私が庭に作っておいた煉瓦を積み上げただけの竈(かまど)を孫が見つけて、いきなり積み木崩しのように壊してしまった。そして、それを見つめて孫は一言、「じしんでこわれた。

震災の映像と叫び声が繰り返しテレビから流されて、幼い子供の目と耳にも焼き付いてしまったようだ。被災地の一早い復興を願うばかりです。
(2011年4月)


ウスターソース

ウスターソースって薄いソースのことでしょうと、私の身近な人が言うので、まさかと思い、広辞苑を引きました。それによるとイングランド西部のWorcesterで最初に作られたソースだそうです。薄めのソースであることは確かですが。

ついでに思い出したことがある。私の祖父は、英語教育が義務教育でなかった時代に独学で英語を勉強したことをいつも自慢していた。私が、まだ小さかった頃、ある時、WC(今は見かけないがかつては公衆トイレの表示に使われていた)って何?って聞いたら、おじいちゃんはちょっと間をおいてから次のように答えた。「それはなウンコシッコじゃよ」。

もちろん正解はWater Closetです。


小松菜

もう数年前のことになるが、ファミリーレストランに食事に行ったら、子供向けに「野菜をたくさん食べよう」みたいな紙のシートがテーブルにおいてあって、それに数種類の野菜の絵と名前が書いてあった。何気なく見ているとチンゲンサイの絵に、コマツナと名前がつけてあるではないか。全国チェーン店でこんな間違ったシートを置いているのかと思うと黙っていられなくて、(止める家族に耳を貸さず)店長を呼び出した。若い店長で、注意しても、たいして気にしていない様子で(店長も野菜の区別がつけられないのかな?)、ほんとにコマッツナ(困ったな)


スイカとユウガオ

知り合いのIさんと野菜作りの話しをしていて、私のすいかの作り方を教えてあげた。米糠をたっぷりあげるのがコツですよ、と。

夏が過ぎて、またお逢いしたときに、彼が言うには、「Sさん、教えてくれた方法でやってみたよ。そうしたらね、とっても元気に蔓がどんどん伸びて、大きな実を付けてね。でもね、できたのはユウガオだったんだ。せっかくだから、食べたら、とてもおいしかったよ」

謎解きをすると植えた苗が接ぎ木苗で、台のユウガオの部分から蔓が伸びたのですね。それを気づかずに延ばしてしまったわけ。

さらに彼は続ける。「ユウガオがたくさん採れ、味も良いから、親戚にお裾分けしたらね、とてもおいしかったから、来年も作ってねと言われちゃったヨ。」


めぐるましい?

私の身近な人が、「めぐるましい」って言うので、そんな言葉ないんじゃないの?どこかの方言かい?って言ったら、
あるでしょ、「最近、めぐるましい」って、忙しい状態を表現する時なんか使わない?という答え。

電子辞書には見あたらないのでインターネットで検索してみた。
検索[めぐるましい]
なんと7,760件のヒット。そういう言葉があったかと思いきや。「めぐるましい」は、「目まぐるしい」の言い間違えです!そうとは私もすぐには気がつかなかった。
でも、この8千件の記事のほとんどは間違いに気づかずに堂々と「めぐるましい」を使っているんだから、おかしいですね。

そこで私も、「めぐるましい」に新たな意味を込めてみました。
「最近、忙しくて目がぐるぐる回るほど、めぐるましい!」
めぐるましい、めぐるましい、めぐるましい、……………… 、と5,6回繰り返して言ってみると、もうそれほど違和感なく使えるようになりそうですよ!?


ももひき

子供の頃、祖父がももひきを表裏に履はいていたのを見て「おじいちゃん、ももひき、反対だよ!」と言ったら、「次に履くときにはまた元に戻るんだから、いいんだ」という答え。(おじいちゃんはまた負け惜しみの屁理屈を言っているな)と、その時は思った。

しかし、私も最近、裏返しに脱ぎ捨てたステテコやパジャマのズボンを、次の時は表になるだろうからと思って、そのまま履いてしまうことがある。あの時の祖父の答えは言い訳ではなくて、合理的にそう考えて言ったのかもしれないなんて思ったりするのは、私も歳をとってものぐさになってきたせいか。

一句、浮かんだ。「ももひきの、裏か表で、日を数え
あ~、 じじくさい。
(2011年1月)

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